愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

惨めな気分

今日はとても惨めな気分だ


仕事で失敗が続き、疲れて休みを取った


ほんの少し前、私は絶好調で、

他の人の悩みを聞いて、励ましたりして

いたのに…


その人達はすっかり元気になり、

私だけがどん底に落ちてしまった


なんて愚かなことをしているんだろう?


我ながらウンザリ


でも、こう言うことが昔からよくある


とにかく、自分の周りの大変そうな人が

ほっておけない


助けてあげなくてはと思う


そうして自分が困る羽目になる


自分も泳げないくせに、

隣で溺れている人に浮き輪を

貸してしまうようなものだ


こんな私は、自分を犠牲にしてまで

他人を助ける、いい人、なのだろうか?


いや、違う


そこまでして私が得たいもの


それは、相手からの感謝


誰かの役に立てたという存在意義の実感



でも、違う


私の存在意義は、神様が下さってる


高価で尊い、愛している、と

神様が、私の存在意義を証明して下さっている


だから、他人の役に立つとか、

感謝される為にする、自己犠牲は

必要ないのだ


本当にその人を心配するなら、

その人の為に祈ればいい


何も言わず、何もせず…


今回、よくよく思い知った


気を付けなければいけない


誰かの為に、何かをしようと思う時、

それが神から出ているものか、

自分の為なのか、と。


神様からの使命なら、

神への深い感謝と満足で終わるだろう


自分の為ならば、今回のように

惨めな気分で終わる


今回のことを、教訓としよう


自分中心の罪をまたひとつ犯したことを

悔い改め、また、明日から新しく始めよう


導いて下さい


アーメン。

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