愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

自己満足

昨日はまた、夫が義妹に文句を言われた


私のしたことが気に入らなかったらしい


先月、何もやってない、

これくらいは出来るだろうと、

2時間に渡り、文句を直接言われたので

渋々ながら、このくらい、のことを

私なりに一生懸命やったつもりだ


しかし、やり方が気に入らなかったらしい


あーめんどくさい


要するに、やっても、やらなくても

気に入らないのだ


つくづくそう思う


いや、それはもう、とっくに分かっていた

事でもある


再確認しただけだ


結局、義妹は、義父の介護を手伝って

欲しい訳ではない


代わりにやって欲しい訳でもない


認められたいのだ


父親である義父に。

兄である夫に。

兄嫁の私にも。


だから、もし、義父が、

いつもありがとう、

お前が娘で本当に良かった

長男なんか要らない、お前がいればいい、

とでも言ってくれれば

それで満足するだろう


更に、兄である夫も、

ありがとう、お前が妹で良かった

妻は当てにならない

妹のお前が頼りだ

とでも言えば、更に満足するだろう


私も、

いつもありがとうございます

私の代わりに全てやって下さり

ありがとうございます、と

頭を下げれば、今より満足するだろう


夫は、義妹のやる事を

自己満足、と言い切っている


悪いが、私も、そう思う


勿論、実の父親を思う気持ちは

本物だが、あそこまで介護に夢中になるのは

他の要素も含まれていると思う


人の為に、と思いながら、

実は、自分の為だった


それを、聖書では

罪、と呼ぶ。


罪は、原語を訳すと、

的外れ、と言う意味だそうだ


義妹のしていることは

そう言うことだ。


そして、残念ながら、

その自己満足が満たされることは

決してないだろう


義父は決して、娘の義妹に

完全に満足して、感謝することは

ないだろうから…



義妹の気持ちを

完全に理解し、共感し、

承認し、感謝してくれるのは

義妹を造られた神、

義妹の為に十字架にかかり、

死んで下さったイエスキリストだけだ


キリストから

良くやっている

ありがとう

充分だ


と、共感と承認、感謝を受け取ることが

出来るなら、

義妹は本当に、喜んで、心から、

義父の介護が出来るだろう


義妹がそれに気づく日は

来るだろうか?


義妹の自己満足を満たす為に、

頭を下げる気はさらさらないが、


義妹が、真の満足をキリストから

受け取る日が来るようにと、

祈ることは出来るかもしれない


導いて下さい。

アーメン。

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