愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

受け入れるということ

最近、色んなことがしんどい


義父義妹のこと


長男夫婦のこと


夫や次男のこと


職場のこと


でも、私にはどうすることも出来ない


自分の問題なら、やりようがあるが、

自分以外の人の問題にいくらヤキモキしても

どうしようもない


他人を変えることは出来ない

たとえ、家族でも、我が子でも。


祝福を祈りつつ、見守り、

今の状況を受け入れていくしかない


でも、この、「受け入れる」と言うことが

難しい


とてもしんどい


落ち込んで来る


何故だろう?


自分が無力に思えるからかもしれない


でも、受け入れる事と、無力である事は

全く違う


受け入れる事、

神様が最善を為して下さると信じて

受け入れる事は、決して無力な事ではない


むしろ、全知全能の神が

働いて下さるのだから、

ちっぽけな人間である私が動くより、

無限に力がある



信仰をもって受け入れる、と言うことは、

「自分」でなく、「神」に委ねる、

明け渡す、と言うことだ。



決して無力なんかじゃない



でも、それでも苦しいのは、

神様の力を信じて、明け渡すより、

自分の力でやりたいから。


不信仰以外の何物でもない


私が今感じているしんどさは

自分との戦いなのだ


「自分」を取るか、「神」を取るか


「信仰」を取るか、「不信仰」を取るか


願わくば「神」を取ることが出来ますように。


「信仰」を取ることが出来ますように。


聖霊さま、助けて下さい。

アーメン。

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