愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

うつを乗り越えて生きる vol7 心の叫び

世界観の革新をしていくために
大切なことがある


それが心の叫びだ


その人特有の考えを持つにいたった
もとになるキーワードだ


それは大抵は幼少時代の
ショッキングな体験から
生み出されている


私の場合は


私は無力だ
やってもやっても報われない
というものだ


私の父は母に暴力を振るう人だった
家計のことや私の体調のことで
(風邪をひかせた、とか)
口論になり、最後は父が母を殴って終わった


私と弟はただ見ているだけだ


何もできない


母を守ることもやめてと声を上げることも
出来ない


嵐が過ぎ去るのを果たすら待つのだ


そんな体験のせいだろう


私は無力だ」という心の叫びを私は持った

死にたいと思わずに生きたい

先日、新聞にこんな記事を見つけた


自殺願望のある女性の声ということで
「死にたいと思わずに生きたい」というものだ


その言葉に私はとても共感した


そうだよね~


死にたいと思ったことのない人にしたら
「ふざけるな」と思われるかもしれない


不治の病に侵されている人やそのご家族には
「甘えるな」ぜいたくだ」と言われても仕方ない


しかし、真剣に自殺を考える者にとっては
切実な問題なのだ


死にたいと思わずに生きたいー
私もずっとそう思ってきた


ガンで亡くなる人がうらやましくさえあった


でも最近少し、変わりつつある

うつを乗り越えて生きる vol6 世界観の革新

では、考えを変えるにはどう反ればいいのか?


それは自分の考えから神様の考えー
神様がどう思っておられるのか?
という考えにシフトするのだ


私なら
食事の支度をする、ということに対してー


古い考えはー<評価されなければ意味がない>


そうすると、美味しくなくて
家族の誰からも感謝されない
評価されない食事作りは憂鬱であり
気分は下がり、回避して布団にもぐることになる


しかし新しい考えでみるとー


神様は私が家族の為に食事を作りのを
喜んで下さっている


美味しくても美味しくなくても、
私が家族の健康の為に一生懸命に
食事を作るのを喜んで下さり、
毎日ありがとう、よくやってくれている、
充分だと語ってくださっている


そう思えば、今日も頑張ろう、とやる気が出る


せっかく作ったのにと家族に
文句も言わなくなる


自分中心の考えから神中心の考えへー


これを世界観の革新と呼ぶ