愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

怨念晴らし

ウチの牧師さんの造った言葉に
<怨念晴らし>というのがある


人形に釘を打って呪うわけではない


心の叫びを持った当事者(多くは親)に
言いたかったことを、他の誰かに
向けてしまうことを指している


私の場合なら
両親に対して、もっと親らしいことを
してほしかったという恨みがあった


私の理想の両親は
大草原の小さな家の
父さんと母さんだった


だから、親に立場の似た他人に対して
怨念晴らしをしてきた


学校の先生、職場の上司、
信頼している友人、教会のリーダー、
牧師さんなど・・・


あなたはこうすべきなのにそうじゃない、
とずいぶん怒りを向けてきた


私は正しいと信じていた


相手に完ぺきを求め続けた


今思うと、申し訳ないことをしたと
思う・・・


神様、そして私の怨念晴らしの対象になって
しまった方々、本当にごめんなさい・・・


ちなみに、今の教会のスローガンは
怨念晴らし、しないさせない、なんとか、だ


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