愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

自分の罪深さをかみしめた

夫の実家で暮らし始め、14年が過ぎた


結婚した時は、同居なんてまっぴらごめんと

思っていた


そんな気はさらさらなかった


気持ちが変わったのは、神様を信じ、クリスチャンになったからだ


神様を信じていない夫の家族や自分の家族に

神様を伝えようと思った


しかし、今思うと本当にそれが本心ではなかったのかもしれない


純粋に神様を伝えるというのではなく、神様を伝えて家族が信じてくれたら、私の価値が上がる、というさもしい気持ちが大きかったように思う


結局、私は家族の為でなく、自分の為にこの家に来たのだ


今朝それに気づき愕然としてしまった


神様の為に誰かの為にと思いながら結局自分の為にしか生きられない自分


感謝の足りない自分


しかし、自分を責めるのはやめよう


そんな私を神様は愛し赦し受け入れて下さっているから


キリストの十字架が醜い私の罪をすべて拭い去ってくださったから


洗礼を受けて16年、今日ほど十字架のありがたみを感じた日はない


キリストが私の罪の為に十字架にかかり死んでくださった


教会で何度も聞いたその言葉を今日ほど深くかみしめたのは初めてのことだった

×

非ログインユーザーとして返信する