愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

それで充分

心配事や不安な気持ちに襲われたら、

イエス様がともにおられ、大丈夫

わたしが守ると語って下さってると

考えるようにして、大分ラクになったのだが、


今度は何というか、厭世観とでもいうか、

何でこうなんだろう、

こうでなければ、

こうしていれば、

私の人生はいつもこうだ、意味がないとか、

そんな考えに襲われ始め、しばらくしんどかった


思っていることを紙に書き出し、

いかんいかん、自己憐憫に陥ってると

考えを一度全クリアさせた


そして、自分の人生や自分自身を自分で評価するのは止めようと思った


私を造られた神様が私の存在そのものに

価値があると認めて下さってる


私の人生、歩んで来た道にも、良くやってる、充分だとねぎらって下さってる


何かを成し遂げた人生でなくても

挫折と苦労ばかりの人生だったとしても。


それで充分だと思い、慰めと励まし、平安を

頂き、また一日を始める


それでいいのだ


それで充分なのだと思う

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