愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

手間がかかること

息子がスマホを壊して、修理に出すことに

した


昔は携帯会社に持って行けば、すぐ対応して

くれた気がするが、最近はとても手間がかかる


携帯会社に出向いたが受け付けてもらえず、

自分で電話し、あれこれと事前準備をし…


もう丸三日、これにかかりきりで、うんざりしている


自分の要領の悪さは棚に上げて

怒りの矛先は息子に向かう


なんで壊すのか?

面倒かけやがって

スマホ持つ資格ない

持たせなきゃ良かった


直接ブチまけたくなるのを何とかこらえている


でもまあ、冷静に考えれば、大した事ではない


壊すこともある

本人でなくて良かった


随分時間かかっているが、いい経験だったと思えばいい


次回はもっと迅速に出来るかもしれない


ひとつ気付かされたことがある


それは、私の中で、手間がかかることは

悪いこと、良くないこと、と捉えられていること


手間がかかるとどうなるのか?


なぜ手間がかかることがイヤなのか?


その辺を掘り下げてみたら、また、

新しい気づきがあり、心の縛りから

またひとつ解放されるだろう


少し、考えてみよう


ムスコに怒りをぶつけるのでなく…

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