愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

心の叫びー原風景

私の心の叫びは
<生きてる価値がない>
<私の人生は意味がない>
かもしれない


その原風景について考えた


私は父40歳、母37歳の時に
生まれた


家には父の両親、年子の妹夫婦も
住んでいた


母はずいぶん冷遇されたと聞いている


母だけ違う場所で違うものを
食べさせられたりした
旅館をやっていて、女中のように
こき使われた


家族関係は悪く、
始終喧嘩が絶えなかった


母はみんなの怒鳴り声が怖かった


そんな環境だったので、母は流産を
繰り返し、死産も2回している


入院中、父も祖父母も誰も
見舞いに来なかった


そんな状況のもと、母は私を身ごもった


父も母も、今度こそはと思っただろう


胎児の私も、無事に生まれて
両親の期待に応えたいと思ったはずだ


たくさんの兄姉のようにならないように、
死の恐怖と闘いながら、私は生まれた


父は心配して、風邪を引かないようにと
夏なのに厚着させられ、あせもがたくさんできた


私はどう感じただろうか?


一生懸命頑張って、生まれてきた


死の恐怖と闘いながら、生まれてきた


両親が喜んでくれているのは分かる


でも熱いし、心配はしてくれても
一緒にはいてくれない


かごに寝かされ、いつも独りぼっちだ


同時期に生まれたいとこは
可愛がられているのにー


家族の喧嘩する声が聞こえる
母がいじめられている
怖い


でも、誰も助けてくれない


熱いし、怖いし、寂しい


一生懸命頑張って生まれてきたのに
こんなはずじゃなかった


こんなことなら生まれてこなければ
よかった


兄姉たちのように、胎児のまま
死ねばよかった


<生まれてきても意味がなかったー>


<私は生きてる価値がない>


想像に過ぎないが、これが私の
原風景ではないか?

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