愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

これからどうしよう?

今朝は明け方早くに目覚め、布団の中でこれからどうしたものかと2時間も悶々として、起きた時はグッタリしてしまった


更に新しい病院と医師を探すか

最初の手術の執刀医に従うか

再手術を勧めた医師に体裁構わず意見を聞きに行くか


診断に不安があるのだから、別の医師を探すのも、もう一度聞きに行くのも間違ってはいないと思う


どうしよう?


神様の視点からみたらどうなるか?


先日の礼拝では


神様は私たちに関わる全てのことを愛という御心によって為されているという神の真実を、覚悟を持って受け入れることは、私たちキリスト者の信仰の応答であり、私たちが内なる人を強められるためのスタートラインである



と教わった


私のこのことも、神の愛の中で為されていると考えたら、どのように行動することが、信仰の応答になるのだろうか?


この一年と少し、ケガ、手術、少し回復、悪化、再手術の勧め、ドタキャン、回復せず、という流れ


再手術が御心だったかなーと思う


何もかもが、本当にスムーズに決まったから…


自分でもしてもらうつもりだったのに、周りの、あまり関係ない人々の噂話的なものに翻弄され、不安の種が大きくなってしまい、踏み切れなくなってしまったのだった


あの時手術していれば、今頃元気に歩けていたかもしれない


でもそれを今更言っても何も変わらないどころか、落ち込むだけ


今、取り得る最善の道は何か?


あの時、再手術の道を備えたのが神様なら、今、その道を与えられないのも神様


ならば、手術しない、という道に従って行くことが御心かと思う


神様は手術しないで私の膝を治すこともできる

から、このまま治るかもしれない


それとも、もう一度、再手術の道が与えられるかもしれない


今の私には先のことは分からない


ただ、神様を信頼して、手術しない道に従い、出来ることを精一杯やって行く


簡単な筋トレと出来る範囲のウォーキング


これ以上、筋肉や骨が衰えないように、地道にやって行く


痛みが出たら休みながら、失望せずに、疑わずに続けて行く


それが一番、今の状況の中で、神様に対して私が出来る信仰の応答かと思う


根気と努力、強い意志が要ると思うけど…


パッと癒してもらえないものかな〜〜

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