愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

義父の自転車 その2

私が息子に「おじいちゃんがいなくなればいいのに」と

言わない理由・・・


それは、母が私にいつも言っていた言葉だからだ


私の実家も、今と同じ、3世代同居の家だった


私と弟、両親、祖父母、そして母にとっての年上の

義妹もいた


家は古く、お金はなく、両親の仲は悪い


なんでうちは建て替えないの?

なんでうちは旅行に行かないの?


そう聞く度に、母は言った


「おばあちゃんがいるからよ」

「おばあちゃんが死ねば、建て替えられる

 旅行もできる」と・・・


そうなんだ、おばあちゃんが死ねばいいんだ

そう思い、育った


私が20歳の時に、祖母が亡くなった

私は悲しくなかった

泣かなかった


それどころか、祖母の実の娘、叔母の目の前で

母に、「やっと死んでくれたね」と言い放ったのであった


母のその時の心中を思うと今更ながら

同情する


お母さん、ごめんね      つづく


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