義父の自転車 その3
母の言葉が反面教師になり
言ってはいけない言葉をかろうじて
言わずに来られた私だが、
本心は母と同じだ
いや、それ以上に悪いかもしれない
母は義父母に尽くしたが、冷遇され
可哀そうな人だった
私はそれなりに義父母に可愛がってもらったのに
恨むなんてお門違いかもしれない
そんな私だが、昨日、気づきがあった
私はこの家に、自分の意志で来た
義父母の面倒をみるため、キリストを伝えるためだ
それから14年、何一つ思い描いた通りには
なっていない
しかし、すべては神の支配のなかにあるのだ
思い通りにいかない状況を受け入れることー
そこにも、神の愛のご計画があると
信じることー
それこそが、神が今、私に願っておられることだろう
そう気づいたらたまっていた怒りが
スーッと消えていく気がした
これからは、義父の自転車をみたら
<神の支配を受け入れる>ことを思い出したいと思う