愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

自分を責める動機

無力感と自責の念


気持ちが沈む時に考えていることだ


先日カウンセリングでその話をしたら、

何故、何の為に、自分を責めるのか?

自分を責める動機は何か?と問われた


カウンセラーさんから

「あんたが悪い」と叫んでいるのではと

指摘され、結構意外で、ビックリしてしまった


出来ない妻、出来ない母親、出来ない嫁、

出来ないクリスチャン、そうやって自分を

責めながら、実は周りの人を責めている…


でも周りの人は仮の当事者で

本当に責めているのは親、父親


親への恨みつらみ、怒りはとうの昔に

キリストの十字架につけて手放した

つもりでいたが、まだ残っていたとは…


ショックでもあったがバカバカしくもなった


我が身の不幸を周りの人達や

もうこの世にいない両親のせいにして、

生きてることが…


もう本当にこんな不毛なことは止めようと

思った


自分を責めず、人のせいにせず、

自分の身に起こることをしっかり

受け止めて、生きていきたいと思った



「私はここで生きることに 最善を尽くすわ

そうすればいつかきっと最大の収穫が

自分にかえってくると思うの」


松本侑子著

「赤毛のアンの幸せになる言葉」より

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