愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

言いたいことが言えない

この一年、たくさんの整形外科医と話をした


その中でいつも、
本当に聞きたいことが聞けない
本当に言いたいことが言えない
そんなもどかしさを感じた


「自分の体のことなんだから、
先生がどう思うかじゃなくて
あなたが納得しなくちゃ」
と病院のスタッフにも言われる


なぜ言いたいこと聞きたいことを飲み込むのか?


必要以上に相手の顔色を窺うのか?


牧師夫人とのカウンセリングで話していて
幼いころの体験を思い出した


私の父は普段は穏やかだったが
突然怒り出す時がよくあった


大抵は母に対してだったが・・・


例えば、「味噌汁が熱い」と言って
テーブルをひっくり返す


おいしいごはん、楽しい食卓が
一瞬で惨状に変わってしまう


呆然とする私と弟、
黙々とお皿や食物を片付ける母


みじめで悲しい思い出だ


だから、目の前の人が
不機嫌になるのを恐れるのかもしれない


「目の前の人が不機嫌になると私の世界が壊れてしまう」
と思い込んできたのかもしれない


しかしあの場所にもキリストはいてくださった


そして私と弟を抱きしめて、
「だいじょうぶだよ、私が守るから」と
声をかけてくださってたー


そして今も、キリストはそうしてくれている


だから、だいじょうぶだ


目の前の人がどんなに怒っても、私の世界は壊れない


キリストが、私とともにおられるからー


だからもう、びくびくする患者はやめよう


言いたいことが言える、聞きたいことが聞ける
患者になろう


キリストがともにおられるから、だいじょうぶ。


きっと、できる!

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