愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

クルマの運転

私は車の運転が出来ない


免許は持っているが、全く運転していない


取り立ての時に何度か運転したが、

散々だった


自分の判断で、自分の技術で、

目的地に行かねばならないと考えると

ものすごく緊張してしまい、頭に血が上り、

肩に力が入り、手に汗をかき、

前の車にぶつけたり、赤信号を無視したり

してしまう


運転に向かない代表的なタイプだろう


そんな私なのに、なぜ家族の人生という車の運転は自分でしようとするのか、よく良く考えると分からない


私がするより、本人にさせた方が余程上手く

運転出来そうだ


私は彼らの車の助手席にすら、必要ない


せいぜい後ろに乗って、彼らが困った時に

励まし、神様を知らない彼らの代わりに

祈ってやれたらいい


そう考えられたら、もっと生きるのが

ラクになれるだろうか?

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