愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

キリストとの出会い vol7 命綱

聖書に書いてあることは真実であり、
聖書の神様は実在すると確信したが
まだ問題が残っていた


それは「罪」と「十字架」だ


聖書には人間はすべて罪人だと
書かれている


そしてその「罪」をあがなって下さるのが
十字架にかかり死なれたキリストの
血だという


まず、「罪人」と言われることに抵抗があった
確かに私は善人ではないけれど犯罪は犯していない
受け入れがたかった


でも、聖書の「罪」とは、「的外れ」という意味
であると教えてもらい、なるほど、
的外れなことならしているかもと思えた


それに聖書には、他人の悪口を言うことさえ「罪」と
書いてあるから、それなら私も「罪人」だと思えた


十字架はさらに分かりづらかった


そもそも「罪を血であがなう」という発想が
何とも残酷な感じで日本人の私には受け入れがたかった


その時、こんなたとえ話をしてくれた


ウエディングドレスを着ていたら
泥だらけの子どもを抱くことが出来ないように、
神様もそのままでは私を抱くことが出来ないから、
キリストの十字架の血できよめてもらうのだ、と・・・


また、キリストが生まれる前に書かれた
旧約聖書には、牛とか鳩とかを殺し、
いけにえとして神に捧げる記述がたくさんある


キリストが十字架にかかる前は人間が
神様に近づく為には動物の血のあがないが
必要だったのだ


そんな説明を受けながら、正直なかなか我が事
としては受け入れがたかった


そんな時、女性が一冊の本を貸してくれた


その本の中の一行に目が留まった


「イエスキリストは君と神様をつなぐ
たった一本の命綱なんだよー」


罪について十字架についてはっきりとは
分からない


でもこの「命綱」を取り損ねたら
後悔するかもー


最後はそんな<直観>だった

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