愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

少年事件に思う

最近目覚ましが鳴ってもすぐ起きられない

布団の中で色々考え事をする


今朝は、仲間の少年たちに殺害された

中1の少年事件のこと

彼は次男と同い年だ


加害者の少年に10~15年の実刑が求刑された

ニュースを見て複雑な気持ちになった


殺された少年の想像を絶する痛み苦しみを

思うと、見ず知らずの私でも涙が止まらない


ご両親の気持ちを思うと言葉を失う


それでも、加害少年を罰するだけでは何も

変わらないと思う


今はまだ素直さの残るその少年は15年後、本当の

悪人になって社会に復帰するかもしれない


愛情の乏しさが、少年たちの寂しさが、起こした

事件だと私は思う


寂しさを埋めてやらなければ真の更生は出来ないし

同じような少年がまた出てくるだろう


それでは被害少年のむごい死が無駄になってしまう


そんなことを朝から延々と考えて、起きた時には

もう疲れ果てていた・・・


なんでこんなに疲れてしまうのかと考えて

思い当たったのは、やっぱり自分の世界観


すべてを自分が負わなきゃいけない、

解決しなきゃいけない、みたいな・・・

そしてそれが出来ないことへの無力感・・・


でも私には、この事件を負う義務も権利もない

それは当事者の方々や関わる専門家の務めだ


だから、自分の生活が脅かされるほど心を痛めるのは

高慢というものだ


無力感を味わう必要もない


だったら気になっても無視すればいいのか?


それも違うだろう


この事件に私が人一倍心痛めるのは、神様が

そういう思いを私に与えられているからだろう


ではこの場合に、神に喜ばれることは

なんだろう?


ああ、そうだ

祈りがあった


祈ろう


亡くなった少年が死後にキリストに出会い、

今は神様のもとで安心して過ごしているようにー


残されたご家族に神様の慰めがあるようにー


加害少年がキリストに出会い、本当の愛を知り

心からの悔い改めに導かれるようにー


二度とこんな悲しい事件が起こらないようにー


この国の子どもたちが、彼らを造られ、

彼らの存在そのものを愛してくださっている

聖書の神様を知ることが出来、将来と希望に

満ちた人生を歩めるようにー


祈ったら、神様にお委ねして私の持ち場に戻ろう

あー、今日も洗濯物と食器の山が私を待っている・・・

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