愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

うつを乗り越えて生きる vol5 考えを変える

講師によれば
気分、感情、行動を生み出すのは考えだという


考えが気分、感情、行動を決めていく


逆に言えば、考えが間違っていたら
気分、感情、行動は変わらない


そしてそれは途中下車出来ない


考えを変えずに、気分だけ、行動だけ
変えようとしても無理がある


確かに、それまで一生懸命、
気分や行動を変えようと努力してきた


しかしすべて、みじめな結果だった


自己嫌悪にさいなまれるだけだった


まずは考えを変える
新しい試みだった

うつを乗り越えて生きる vol4 うつダイアリー

セミナーで始めにしたことは
うつに陥るときの出来事、気分、感情、行動を
書き出すことだった


たとえば、私の場合なら、
食事を作ろうとするとき、
気分は下降、感情はうつ、
行動は回避(寝てしまう)


そして、その気分、感情、行動を作り出している
考えを探っていく


私の場合は
「どうせ美味しいものが作れない」
「家族は喜んでくれない」
「作っても報われない」など


毎日毎日、何度も何度も取り組んでいるうちに
ひとつの共通の考えが浮かび上がってくる


私の場合は、「評価されなければ意味がない」
というものだった

言いたいことが言えない

この一年、たくさんの整形外科医と話をした


その中でいつも、
本当に聞きたいことが聞けない
本当に言いたいことが言えない
そんなもどかしさを感じた


「自分の体のことなんだから、
先生がどう思うかじゃなくて
あなたが納得しなくちゃ」
と病院のスタッフにも言われる


なぜ言いたいこと聞きたいことを飲み込むのか?


必要以上に相手の顔色を窺うのか?


牧師夫人とのカウンセリングで話していて
幼いころの体験を思い出した


私の父は普段は穏やかだったが
突然怒り出す時がよくあった


大抵は母に対してだったが・・・


例えば、「味噌汁が熱い」と言って
テーブルをひっくり返す


おいしいごはん、楽しい食卓が
一瞬で惨状に変わってしまう


呆然とする私と弟、
黙々とお皿や食物を片付ける母


みじめで悲しい思い出だ


だから、目の前の人が
不機嫌になるのを恐れるのかもしれない


「目の前の人が不機嫌になると私の世界が壊れてしまう」
と思い込んできたのかもしれない


しかしあの場所にもキリストはいてくださった


そして私と弟を抱きしめて、
「だいじょうぶだよ、私が守るから」と
声をかけてくださってたー


そして今も、キリストはそうしてくれている


だから、だいじょうぶだ


目の前の人がどんなに怒っても、私の世界は壊れない


キリストが、私とともにおられるからー


だからもう、びくびくする患者はやめよう


言いたいことが言える、聞きたいことが聞ける
患者になろう


キリストがともにおられるから、だいじょうぶ。


きっと、できる!