愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

バイバイ、義妹。

私を執拗に責めてくる歳上の義妹。


彼女をなんとか愛そうと努力した。


でも出来ない。


義父の介護をやらないやらないと

責められて来た


やり始めたらなぜやる気になったのかと

責められた


今までやらなかったことを責められた


結局、やってもやらなくても

責められる


文句を言うことが目的なのだと

思い知らされた。


そして昨夜、神に祈った


神さま、私にとって義妹の存在はどんな意味があるのですか?


義妹を通してあなたは何を私に語られているのですか、と。


その答えなのか、今朝思ったことは、

義妹の存在が私を高ぶりから守ってくれる、ということ。


夫を亡くした時、私は神を疑わなかった。


必ずこのことを益に変えてくださると信じることが出来た。


突然の出来事で、悲しかったけれど、

神を恨んだり、疑ったりしなかった


我ながら、自分の信仰は素晴らしいと

思った。


それなのに…


夫を亡くしたばかりの私を執拗に

責めてくる義妹を前にして、私は怒り、

声を荒らげ、激昂し、息子達を巻き込み、

不平不満、愚痴を垂れ流し…


そんな自分が情けなかったけれど、

でも、そんなもんなんだ


私の信仰なんて、そんなもん!


ちっとも信仰深くなんてない


嫌われたら嫌う

責められたら責め返す


でもそれでいいのだ


自分は立派な信仰者だなどと思うより

よっぽどマシ


義妹を愛せない

そんな私を赦して下さい


そんな私を憐れんでください。


神さまにそう祈ろう。


そしてもう、義妹を愛そうなんて、

不可能な努力はやめる。


ほっておこう


責めたいなら責めさせておこう


彼女の支配から、私は自由になる


バイバイ、義妹。


私は神の平安のうちを歩む


あなたとはさようなら。


それでいいですよね?


主よ。

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