愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

家族が重荷

家族が重荷


って、寂しいことだね


家族は神様が与えて下さった祝福なのに。


きっと、自分でなんとかしなきゃとか、

してあげなきゃとか、考えてしまってるんだね


幼い頃、母と弟を守って生きなきゃと

考えたようにね


でも、それは間違い


神様は、母と弟を守って生きなさいなんて

おっしゃってなかった


今も、息子と孫とお嫁さんを

守って生きなさいなんておっしゃってない



じゃあ、神様はなんと言ってる?


私のもとに来て休みなさい


委ねなさい


心配するのはやめなさい


あなたの為にわたしが全てを

成し遂げる


喜びなさい


感謝しなさい



全て疲れた人、重荷を負っている人は

わたしのところに来なさい

わたしがあなたがたを休ませてあげます。




ああ、主よ、感謝します


忘れていました


あなたのところに行くことを。


今、あなたのところに行きます。


どうか私を休ませて下さい。


尊きキリストの御名により、

祈ります


アーメン。

ひとりになりたい

ひとりになりたい


時々無性にそう思い、

家を出て行く


ホテルに一泊して、少し気分転換して、

また日常に戻って行く


他の人はそんな事しないから

私は特別なのだろうか


独身の友人には羨ましがられる


旦那もいて、(今はいないけど)

息子もふたりもいて、孫までいて、

いいね、恵まれてるね、幸せだねって。


そうなのかな


いや、そうなんだろう


でもそう思えない


何故だろう?


なんか、重荷なんだよね


夫のこと、(今はないけど)

ふたりの息子のこと

孫のこと

お嫁さんのこと


心配したり、手助けしたり、

重い。


今は無くなって来たけど、

義父のこと義妹のこともあった


弟のことも。


家族が増えれば増えるほど、

重荷も多くなって、つらい。


私にとって家族は、

重荷なんだなぁ


残念。

この家を出る

来年、この家を出るつもりだ


18年前、キリストを伝えようと

勇んでやって来た、夫の実家。


結局、夫の両親も、息子達も、

親族も、ひとりも信じる事なく、

この家を去る


夫を失って次男とふたりでここを出て行く


義父の介護をしないと言う理由で

義妹から追い出される


こんな結末が来ようとは18年前は

予想だにしなかった


まさか、ここまで失望の中で

この家を去ることになろうとは…



でも、自分を可哀想と思う事はやめよう


それは、自己憐憫と言う、罪だから。


むしろ感謝しよう


義父義妹から解放されるのだもの。


新しい場所で、残りの人生を

どう過ごすべきか、主に尋ねていこう


次男も、来年大学に入り、卒業したら

私から離れる


私はひとりになる


寂しい?


いや、むしろ嬉しい


やっとひとりになれる。


やりたい事をしよう


やりたい事を見つけよう。


これからは他人の為でなく、

自分の為に生きることも学ぼう。


私は惨めなんかじゃない


無力でもない


最善を尽くした。


主が一番良くご存知だ


これからも主を見上げ、

主とともに、主に導かれ、

生きていこう


天に召される日まで、そうしよう


導いてください。


アーメン。