愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

また膝が痛い

夜中に膝がジンジンして、目が覚めた


昨日、息子の学校に行き、
4階まで階段の上り下りをしたせいか・・・


プールに行ってから、どうも
良くない


まだ動いてはいけないのだろう


プールは医師に勧められていたが
医師が考えるより、良くないのかもしれない


神様を除いては
自分の体は自分が一番よく分かるのだと
つくづくと思う


医師や理学療法士の進める通りに
努力しても、よくならない
かえって悪化してしまう


痛いと思ったら、自分で休む、止める、
やらない、など判断していくしかない


と言って、何もしなければ
体の機能はどんどん落ちていくから
出来ることはしていく


自分の体の声に耳を澄ませ
神様の声に耳を澄ませ
焦らずに、諦めずに、悲観せずに
出来ることをしていく


すぐ結果が欲しい
すぐ諦める
すぐ誰かに頼りたくなる


そんな私には、難しいことだ


だからこそ、神様は今、こういう状況に
私を置いておられるのかもしれない


難しい挑戦だが、もし乗り越えられたら
大きな自信になるだろう


自分自身と神様だけを信じて
この危機を乗り越えていきたい

ライフスタイルチェンジ

<生きていても仕方ない>
<死んだほうがまし>
<生まれて来た意味がない>


そんな心の叫びを否定するために


<誰かの役に立てば生きてる価値がある>
<努力が報われれば人生に意味を見出せる>


という世界観を作り上げ
一生懸命、生きてきた


でも、もうその世界は終わりだ


私の存在そのものに価値があり、
生きている、生かされていること
そのものに意味がある


神様がそれを教えてくれた


だから、自分の存在を証明するために
何かをする必要はなくなった


なんだかとても身軽になった


背中の大きなリュックと両手の荷物を
下ろした気分だ


さあ、これから何をしようか?


とりあえず、好きなこと、
楽しく出来ることを探してみよう


ライフスタイルチェンジ、
ちょっと出来るかな?

逆転勝利

私の属する教会の牧師さん
(以下,ウチの牧師さんと書きます)が、
よく口にする言葉の一つに<逆転勝利>
というのがある


自分で造ったことばらしい


語源は、聖書のローマ人への手紙8章28節
からきている


「神はすべてを働かせて益としてくださる」
ということばだ


人生のなかで、これさえなければ、という
経験が、逆にその人の人生に
なくてはならないものとして用いられる、
というものだ


初めて聞いた時、私はとても感動した


私でいえば、父の母に対する暴力、
弟の病気、自分のうつ、
といったところだろうか


オリンピックで金メダルを取った
選手のように勝ち誇っている
自分を想像してわくわくした


いつか、必ず、「このために生きてきた」
という瞬間が来ることを夢に見た


しかし、今は、それは間違いだったと
感じている


それは、古い世界観の延長に過ぎない


では、わたしにとっての、<逆転勝利>は
なんだろうか?


正直、ハッキリとはイメージ出来ていない


でも、これこそが!という、
肩に力の入ったものでなく、
もっと自然で、もっと穏やかな
ものなのではないか・・・


もしかしたら、天国に行ってから、
神様に教えてもらって、
「え、あれがそうだったんですか!」と
びっくりするようなものなのかもしれない