愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

もう恨まない

先日、次男のやっているスポーツの試合があった


小学生の時はずっと補欠だったが
最近は試合に出ている


親としてはうれしいが今一つ
パッとしない


とにかく弱気なのだ


失敗を恐れてびくびくしている


そんな彼の姿を見るたび、
私は彼の小学生時代の指導者を
思い出す


失敗すると怒鳴ったり、すぐ外に出したり
され、あげくの果てに何年も
試合に出してもらえなかった


次男はすっかり意欲をなくし
失敗を恐れるプレーしか出来なくなった


ーあのチーム、あの指導者のせいだー


長い間そう考え、恨んできた
恨み殺せそうなくらいに・・・


最近少し考えが変わった


もっといい指導者のところに替わる
選択もあった


しかし、そうしなかった
出来なかった


ひどい目にあわされたが
本人も私も耐え切った


よくやったと思う
次男はよく耐えたし、頑張った


つらい中でも、友達を作り、そこそこ
楽しそうにやっていた


100点満点だ!


失敗を恐れる弱気なプレーは残ってしまったが
充分よくやっている


もう指導者を恨むのはやめよう


それよりも彼が今までよくやってきたことに
思いをはせ、彼をほめてやりたい


きっとキリストも私にそれを望んで
おられる

うつを乗り越えて生きる vol1 あるセミナーとの出会い

私は数年前まで8年間、うつ病と診断され、
薬を飲んでいた


最後の3年くらいは躁うつ病と言われ、
リーマスという薬を飲んでいたが、
それは一生飲み続けなくてはいけないと
言われていた


うつと違い、そううつは先天的なものだから
一生治らないと言われていた


しかし、私は薬をやめられた
他人が見ても、私がうつだったとは
思われないほど回復した


神様が、キリストが、癒やして下さった


しかしそれは祈りによってパッと治ったとか
いうものではない


スポーツ選手が毎日毎日行う筋トレのような
地道な努力を必要とした


そのことについてこれから少しずつ
伝えていきたい


うつが癒やされる最初のきっかけは
ある牧師夫妻が開いていたセミナーに
参加したことだった

子どもたちの必要に応える方

先日、長男からダメだしされた


彼の期待する言動を私ができなかった
オレの足を引っ張るなと言われた


次男にもプリプリされた
こちらは私が言うことがうっとうしいらしい


彼らの気持ちを分析すると


長男には
期待に応えてほしい、という欲求があるようだ
彼と私とは互いに互いを期待する関係なのかもしれない


ひるがえって次男は
ありのまま認めてほしい、というところだろうか


のんびりやの彼にイライラしてついつい
もうちょっと何とかならないのか、と
彼を否定しがちだ


それぞれの要求に上手く応えてやれればいいが
それは不可能だ


彼らの期待に完全に応えられるのは
創造主なる聖書の神だけだ


そのことに早く気付いてほしい


また私は伝えていかなくてはいけないと
強く思わされた