愛されている者として生きる

30代でイエスキリストを救い主と
信じて10数年。
永遠のいのちを頂き、
生きることの苦しみから解放され、
人生をラクに生きられるように
なりました
日常の暮らしの中で起こる
様々な出来事に生きて働き、
私を造り変え続けて下さっている
イエス様との日々の記録です

高校時代

先日、ママ友とご飯を食べた


彼女は有名進学高出身で行事にも積極的に参加し、
楽しい高校時代を過ごしたそうだ


私もそこそこの進学高出身だが
彼女とは対照的に暗い高校時代だった


自分のことで悩んでいて、何にも身が入らなかった


だから高校時代が楽しかったという話を聞くと
引け目を感じ、落ち込んでしまう


今回も一晩は落ち込んだが、すぐ思い直すことが
出来た


確かに私の高校時代は暗かったが、
だからこそ私は人生について
深く思いめぐらすようになった


なぜ人は生きるのか、生まれてきたのか
本当の幸せとは何なのかー?
ずっと考えてきた


だからキリストに出会えた


人生で本当に大切なものに気づけた


今度から誰かと高校時代の話になったら
こう言おう


私の高校時代は暗かったけど
そのおかげで今とても大切なものを
手に入れたのよ
そしてそれは永遠に私から離れないのよ、と・・・

キリスト者は究極の勝ち組!

昨年の夏、母が天に召された


母は数年前に認知症になり、
老人ホームで暮らしていた


正直、母のことは重荷だった


うつ病になった原因の一旦は実家の
事だったし、出来ないことはしない、
と決めて母のことも施設にお任せだった


そんな私でも、冷たくなった母を目の当たりに
した時は、目の前が真っ暗になった


自分を産み、育ててくれた人が冷たくなり
動かない・・・ショックだった


しかし、すぐに思い直すことが出来た


母は死んだのではない、天国に行ったのだ
死も苦しみも悲しみもない、神のみもとに
行ったのだー


そう思うと本当に救われる思いがした
母が洗礼を受けていて本当に良かったと
感謝した


人は必ず死ぬ
どんなお金持ちでも偉い人でも善人でも
死は避けられないー


でもキリストを信じる者には永遠のいのちが
聖書で約束されている


天国で再会できる


大切な人の死が悲しみで終わらないー


すごいことだと改めて思った


永遠のいのちと言われても普段はあまり
ピンとこない


しかし、大切な人を失ったとき、その言葉は
大きな大きな意味を持つ


キリストを信じていて本当に良かった


キリストを信じる者は究極の勝ち組だと
思った


<わたしを信じる者は死んでも生きるのです>


ハレルヤ!!!

平安と喜びを得る方法

先日、友人のお母さんのお見舞いに
伺った


足の具合がよくないし、天気も悪かった


以前の私なら、気になりつつも
行かない選択をしたと思う


でもその日は違った


友人のお母さんに会いに伺い
回復をお祈りさせてもらいたいと
強く思った


神様がそれを願っておられると
感じた


だから、体調や天候に左右されず、
行くということを選択し、決断し、実行できた


友人が喜んでくれ、私の心にも
平安と喜びがあった


神様の願いに応えていくとき、
心に平安と喜びがある